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メガネくん


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点字の歴史

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メガネくん@盲学校/特別支援学校からの発信
2019年11月1日 23:01
11月1日は点字の日、ということで展示の歴史についてざっくりと紹介したいと思います。

点字と言えば、ルイ・ブライユさんの名前が出てきます。小学四年生の教科書(光村図書)「手と心で読む」に点字について紹介された内容があり、そこから点字を発明した人、ブライユさんが小学生のYahoo!検索1位になったこともニュースになりました。ブライユさんの点字発明以前についてから紹介していきます。

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目次

1 ブライユ以前
2 ブライユ式点字の発明
3 日本式点字の採用と点字の日
4 その後の日本での点字の歴史
まとめ
参考にしたサイト
1 ブライユ以前
目が見えなくても、耳から言葉を聞き、口から言葉を出すことで会話することはできます。近代以前は、識字率もそこまで高くなく、目が見えていても文字を読み書きできない人はたくさんいました。

近代になると、学校制度ができてきます。兵士として工場労働者として、集団の中で指示に従って行動するためには、ある程度の読み書き計算ができていた方が都合が良かったからです。

世界最初の盲学校は、1784年にヴァランタン・アユイらによって、フランスのパリに作られたものとされていますが、そこでは、紙や木でできた、浮き上がった凸文字や紐の結び目による文字が使用されていたそうです。これは点字が伝わる前の日本でも同じでした。

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(画像はさくらのブログ 京洛逍遥(423)京都府立盲学校で木刻文字の調査より)

視覚障がい者の文字としては、4世紀にディディムスという人が、史上初めて木片にアルファベットを彫り、それを並べて読む触読文字を考案したそうです。1651年には、ハルスデルヘルが平らな板に蝋を流し、固まった蝋面に鉛筆で文字を書く方法を発表します。

また1670年には、イタリアの司教、フランチェスコ・ラナ・デ・テルツィさんが点と線で文字を表すシステムを考案していたそうです。

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(画像はWikipedia フランチェスコ・ラナ・デ・テルツィより)

2 ブライユ式点字の発明
1819年、今から200年くらい前に、フランス軍の将校「シャルル・バルビエ・ド・ラ・セール」が、夜間に命令を伝達するための「夜間読字」を考案しました。
12の点を使って、戦争に関する命令を、発音や音節、単語などで表すことができるものでした。
(tech4all「「点字とはなんぞや?」というお話 番外編 点字の歴史(誕生編)」より)
このソノグラフィと呼ばれる12点式点字は、結局軍では採用されなかったのですが、見えない人の文字として使えるのではないかと考え、パリ盲学校に伝わります。

このパリ盲学校に通っていたのがルイ・ブライユです。彼も感じたように実際に現在の6点式点字を指先で触ってみるとわかるのですが、ちょうど指先に当たるくらいの大きさで、点が12あることを想像すると、ちょっとスムーズには読めないなぁと思ってしまいます。また12点式点字は発音中心に考えられていたので正確な綴りを書くこともできませんでした。

ということで、1825年、ブライユさんは16歳の若さで、12点式点字を基にしてアルファベットや数字など現在の6点式点字を発明します。

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(画像はNAVERまとめ ルイ・ブライユについてのまとめ【6点点字の考案者】より)

ブライユさんはその後、パリ盲学校で勤務する傍ら、点字楽譜やラフィグラフという道具で作ったデカポワント(点によって浮き出るようになった文字)なども発明しますが、43歳の若さで亡くなります。

ブライユ式の点字は、視覚障がい者にとって書くのも読むのも大変便利だったのですが、すぐに広がったわけではありません。健常者の使う文字と同じ浮き出し文字を使うべきという考えが依然としてあったのです(これは戦前の手話の禁止と口話の強制にも似た話だなぁと思います)。パリ盲学校でブライユ式点字が正式に採用されたのは、彼の死後、1854年のことでした。また死後百年にあたる1952年、ブライユの遺骸は故郷のクヴレ村からパリに移され、ヴィクトル・ユーゴーやエミール・ゾラなど、フランスの国民的英雄を祀るパンテオンに葬られました。またルイ・ブライユの誕生日1月4日が世界点字デーとなっています。

点字を表す言葉は多くの国で、ブライユの名前から“Braille”(フランス語読みではブライユだが、英語読みではブレイルになる)と呼ばれています。
(Wikipedia ルイ・ブライユより)
ブライユさんの発明した6点式点字は、現在も世界中で使われています。ちなみに現在のアルファベット点字を見てみるとWだけ規則が異なるのに気がつくかもしれません。これは、当時フランスにはWはほとんど使われることがなく、後から追加されたからなんだとか。

その後、1854年にフランス政府から公式に認められたブライユ点字は世界に広がっていきます。

イギリスでは英国王立盲人協会を設立したトーマス・アーミテージがブライユ点字を採用し、改良しつつ広めます。

視覚障がい者用の文字としてさらに200以上の英語の短縮形、略称が加えられます。さらに短縮形、略称だけでは不十分とされ、1902年には現在の「グレード2」に当たる「改定点字(Revised Braille)」がイギリス連邦で採用されるのです。

フランスで発明されたブライユ点字体系を原案に、1878年にはイギリス、ドイツ、エジプトで各国の点字が採用されました。

一方、アメリカでは、ニューヨーク盲学校のウィリアム・ウエイトらがやはりブライユ点字に基づく点字を採用しましたが、ブライユ点字体系とは違う独自の「ニューヨーク・ポイント(縦2点・横4点の8点で構成される点字)」や「アメリカン・ブレイル」、さらにはブライユ点字体系のバリエーションなども採用されます。

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(画像は京都盲唖院・盲学校・視覚障害・点字の歴史より)

1918年には部分的にイギリス体系を採用した「グレード1½」(1文字短縮形のみ使用)を採用、1932年にはイギリス体系を全面的に採用し「グレード2」(一部アメリカ方式が残された)を採用します。

1991年には北米点字委員会(Braille Authority of North America、BANA)が、学術文書表記で複数の方式が競合するなどの混乱を無くすため、統一英語点字コード(Unified English Braille、UEB)の策定を提案し、いくつかの修正後、2005年にイギリス連邦各国で採用され、2012年以降アメリカ合衆国でも段階的に採用されてきています。

以下に略字の一例を表示しておきます。日本の英語教科書でも、統一英点字(UEB)が採用されています。

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(画像はWikipedia英語の点字より)

そして日本にも点字が伝わるのです。

3 日本式点字の採用と点字の日
明治になると学制に基づき、各地に小学校が建てられていきますが、その流れで有志による視覚障がい児のための学校、京都訓盲唖院(現・京都府立盲学校)や楽善会訓盲院(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)などができます。

当初は浮き出し文字などが使用されていました。

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(画像は日本経済新聞より)

点字以前の盲教育についてはこちらの本が、おすすめです。

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日本にいつ点字が伝わったのかは定かではなく、1876年のフィラデルフィア万国博覧会、1878年のパリ万国博覧会などを介して、「ニューヨーク・ポイント(8点で構成される点字)」とブライユ式の6点点字は日本に伝わったと考えられていました。

さらに1879年に在米留学生監督 目賀田種太郎がパーキンス盲学校の点字を紹介したことや、1884年に教育博物館長 手島精一がロンドン教育博覧会から点字の書物(展示の実物)や器具を持ち帰って博物館に陳列したことから日本にも点字が伝わり、その有用性が認識されると点字の使用がはじまったとされていました。

それが「点字以前 18-19世紀の日本における盲人の身体と文字表記技術の交差」(日本社会事業大学 木下知威、2019)により、1878年のパリ万国博覧会の時期には、日本政府が、トーマス・アーミテージの設立したBFBA(英国内外盲人協会)に接触し、その理論書『盲人の教育と職業』に付属するブライユ点字の見本という形で、点字のサンプルを入手していたことが明らかになりました。

その後、教育博物館 館長の手島精一が東京盲唖学校の小西信八の問い合わせに対して、英国製点字器とトーマス・アーミテージ著『盲人の教育と職業』を貸し出します。

 わが国でブライユの点字が実際に用いられたのは1887(明治20)年、東京盲唖学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)教員の小西信八(こにし のぶはち 1854-1938)が、生徒の小林新吉に教えたのが最初です。たちまち読み書きを習得し歓喜する姿を見て、小西は点字の有用性を確信しました。
(日本点字図書館「点字図書について」より)
ただ、アルファベットと日本語では濁点や半濁点、拗音なども入れると文字数が異なります。
日本式点字を考案した石川倉治さんも、当初は6点式ではなく8点式の点字を検討していたそうですが、現在のローマ字式に母音と子音を組み合わせる、濁音や半濁音などは1マス前の点で表し2マス使う現在の点字方式を考えます。

そして、有力な3つの案を基に、生徒も含めて開催された選定会で石川倉治案が採用されるのです。これが11月1日の点字の日の由来です。

1890(明治23)年11月1日の第4回選定会で、50音の構成が最も合理的であった、教員の石川倉次の案を採用することが決定されました。この11月1日は現在、「日本点字制定記念日」とされています。また、石川倉次は「日本点字の父」とたたえられています。
(日本点字図書館「点字図書について」より)
4 その後の日本での点字の歴史
その後の日本での点字の歴史について、年表形式で簡単にまとめていきます。

1890年 石川倉治考案の日本語の6点式点字が採用される。

1892年 瀧禄松が国産初の点字盤制作、後に中村豊次郎(仲村点字器製作所)がこれを継承する(1891年に京都盲啞院が島津製作所に点字器を外注する)

1893年 逓信省の通達により、点字郵便物は通常の写本書籍と同じ印刷物とされる(追加料金が取られることがなくなる)

1898年 石川倉次考案の拗音が採用され、日本点字が現在の形になる。

1901年 日本式点字が官報に公表される。

1903年 東京盲唖学校卒業生が、点字総合雑誌『むつぼしのひかり』を刊行する。

1905年 左近允孝之進が点字活版印刷機を考案する。

1906年 日本初の点字新聞『あけぼの』が左近允孝之進によって発行される(1904年に名古屋で点字新聞『ふそう新聞』が長岡重孝によって発行される、約1年で廃刊)

1911年 文部省が『日本訓盲点字説明』を出版する。

1918年 東京盲学校が点字表記を歴史的仮名づかいから表音式表記法(耳で聞こえる音を表す方式)に転換する。

1921年 日本語点字聖書が発行される(イギリスに続いて世界2番目。現在も日本聖書協会で販売されています。)

1922年 大阪毎日新聞社(現・毎日新聞社)が「点字大阪毎日」(現・点字毎日)を発刊する(表音式仮名遣いによる点字表記を採用。商業新聞としては日本唯一の点字新聞として現在も発行中)。 点字教科書の発行がはじまる。岩橋武夫が大阪市阿倍野区の自宅で点字出版をはじめる。

1925年 点字による衆議院選挙の投票が、改正衆議院議員選挙法(普通選挙法)の改正により認められる(1928年の衆議院選挙で、初めて点字投票が実施される。点字投票数は5428票)。

1933年 岩橋武夫が大阪で大阪盲人協会・ライトハウス(現・日本ライトハウス)を開設し、点字出版、点字書の貸し出し、盲人家庭への訪問指導などをはじめる。

1937年 沢田慶治により点字特殊音の追加と集大成が行われる。大河原欽吾の『点字発達史』が発行される。

1940年 本間一夫により日本盲人図書館(現・日本点字図書館)が開設される。

1942年 大日本点訳奉仕団が結成され、後藤静香が団長になる。

1949年 同志社大学が日本で初めて点字による受験を認める(現在はセンター試験をはじめとする入試や公務員試験などで点字受験が認められている)。

1950年 パリで国際点字統一会議が開かれる。

1951年 パリで世界点字協議会が発足する。 アメリカで点字タイプライターのパーキンスプレイラーが発売される。

1954年 本間一夫が『点訳のしおり』を作成する。

1955年 全国の盲学校を主として日本点字研究会(日点研)が発足し、鳥居篤治郎が会長になる。「全国盲学校生徒点字教科書問題改善促進協議会」(全点協)が組織され、翌年4月より盲学校高等部の教科書は無料とされ未発行の教科書も急遽発行される。

1961年 盲人郵便物(盲人用点字、盲人用録音テープ、点字用紙)の郵便料が無料化される。

1963年 点字毎日が、第30回総選挙から「選挙のお知らせ」の発行をはじめる。

1965年 万国郵便条約により外国向け点字郵便物が無料となる。

1966年 日本点字研究会が解散し、点字表記法の制定機関として、盲教育会・盲人社会福祉会・学識経験者により「日本点字委員会」が発足する。

1969年 元大阪府立盲学校教員の川上泰一が、八点式漢点字を発表する。 地方自治法の一部改正により、リコール請求、国会請願、最高裁等への陳情の点字署名が認められる。

1970年 著作権法が改正され、点字図書は無条件で、録音図書は政令で定めた福祉施設に限り、著作権者の許諾無く製作できるようになる。

1971年 日本点字委員会が『日本点字表記法(現代語篇)』を編集・発行する。

1972年 元筑波大学附属盲学校教員の長谷川貞夫が、六点漢字に取り組み、翌年自動点訳の開発に成功する。

1973年 法務省が、司法試験の点字受験を認める。

1974年 東京都が、一般行政職試験で点字受験を認め、2人が採用される。

1975年 日本共産党中央委員会が、点字の機関紙「点字『赤旗』」を創刊する(政党紙では日本唯一、現在も発行中)。

1977年 点字受験で初の東京大学合格。

1979年 第1回国公立大学共通一次試験で、点字による試験が実施される。

1981年 竹下義樹が、点字受験で初の司法試験合格者となる。日本盲人社会福祉施設協議会点字図書館部会が『点訳のてびき(入門編)』を編集・発行する。また点字指導員資格認定講習会を開始する。

1982年 大阪府教育委員会が、府立高校の入試に点字受験を認め、府立高校に1人合格する。

1983年 近畿郵政局で点字の郵便宛名書きが認められる(宛名書きが点字でも配達されます)。

1988年 日本IBMが、点訳データのネットワーク「IBMてんやく広場」の事業を開始する(1993年に「てんやく広場」に改名、これによりパソコン点訳が広まり、点字データの共有が可能になる)。

1990年 全国高等学校長協会入試点訳事業部が発足する(大学入試などの点訳を公平な立場から請け負う組織)。日本点字委員会が、日本の点字制定百周年を記念して、『日本点字表記法1990年版』を発行する。

1991年 国家公務員試験(Ⅰ種とⅡ種の行政職)の点字受験が認められる。日本盲人会連合が、厚生省の委託を受けて「点字JBニュース」を開始する。

1994年 藤野稔寛が、点図を描くためのフリーのソフト「エーデル(EDEL)」を開発する。

1995年 国勢調査で、調査表に点字と大活字が用意される。

1996年 小学4年生の国語教科書(光村図書)に「手と心で読む」が掲載される。

1998年 てんやく広場が発展的に解散し、全視情協に移管され、「ないーぶネット」と改称される。

1999年 WBU(世界盲人連合。加盟130ヶ国)がルイ・ブライユの誕生日である1月4日を「世界点字デー」に制定する。

2000年 著作権法等改正案が成立し、ネットワーク上での点字データの蓄積や送受信が認められる。

2001年 日本盲人社会福祉施設協議会が、点字技能検定試験をはじめる。

2002年 ゲームソフト『ポケットモンスター ルビー・サファイア』ゲーム内に点字が登場する(日本点字図書館監修)。著作権法改正により点字のデータ化および公衆送信が可能になる。

2003年 オンキヨー株式会社と点字毎日の共催で「オンキヨー点字作文コンクール」が開催される(2011年の第9回からは「オンキヨー世界点字作文コンクール」と改称)。

2004年 カナダのトロントで開かれた「国際英語点字協議会(ICEB)の総会で、統一英語点字コード(UEBC)が採択される。

2010年 内閣府が点字広報誌「ふれあい らしんばん」の発行を開始する。

2008年 「障害のある児童及び生徒のための教科用特定図書等の普及の促進等に関する法律(教科書バリアフリー法)」が成立する。

2009年 ルイ・ブライユの生誕200年。日本だけでなく各地で記念イベントが開催される。

2010年 日本テレソフトが、点字カラオケシステムを開発する(通信向け10万曲を自動点訳してピンディスプレイに表示)。視覚障害者情報総合システム「サピエ」が運用開始する(ないーぶネットとびぶりおネットを統合)。

2011年 ドイツのライプツィヒで、「世界会議点字21(World Congress Braille21)」が開催される。

2012年 日本点字普及協会が発足する。

2013年 モロッコ・マラケシュで開かれたWIPO(世界知的所有権機関)の会議で、WBU などが提案していた著作権条約の改正案「盲人、視覚障害者その他の印刷物の判読に障害のある者が発行された著作物を利用する機会を促進するためのマラケシュ条約」が可決される。

2014年 日本点字委員会で、英語教科書に統一英語点字(UEB)を採用することを決定する(中学校は2016年度用教科書から、高校は 2017年度用教科書から学年進行で変更)。

2018年 マラケシュ条約批准に合わせて、受益者の範囲を広げる著作権法改正案が国会で可決される。高橋鴻介が、墨字(目でよむ文字)と点字が一体になったユニバーサルな書体、Braille Neue(ブレイルノイエ)を開発する。

2019年 「視覚障害者等の読書環境の整備の推進に関する法律(読書バリアフリー法)」が国会で可決される。

というような流れで現在に至ります。

まとめ
点字の歴史を振り返ってみると、見えない人が自分で書いて読むことができる点字が当事者に受け入れられていく過程から、世間に徐々に点字が認知され、点字受験などの配慮が広がっていく流れがよくわかります。ちなみに大正デモクラシーの流れで実現した点字投票はなんと日本が世界初なんです。

近年ではICT化による点字のデータ化や点字ディスプレイなどの機器の登場、インターネット上でのデータ共有などが進んでいるのも特徴です。

Bluetoothでタブレットと接続できる点字ディスプレイやiPhoneやAndroidの点字キーボード、図形などを浮き出す点字タブレットなどもあります。

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(画像はITmediaより)

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(画像はITmediaより)

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(画像はITmediaより)

点字ディスプレイの登場が、ブライユさんの考案した点によって浮き出る文字、ラフィグラフのように絵画などを表しているのを見ると感慨深いものがあります。

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(画像はリクナビNEXTジャーナルより)

また中途失明者向けの大きなLサイズ点字や墨字と点字の一体となったブレイルノイエなど新しい形の点字も当時しています。

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(画像は日本点字普及協会より)

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(画像はALiS 「目でも読める点字」の発明【ブレイルノイエ】より)

スマホやタブレットなどICT機器の発展による音声サポートが増えてきたとはいえ、まだまだ点字を必要としている人はいますし、どちらも選べる環境に越したことはないと思います。

この先の点字はどうなっていくのか。きっとパンテオンに眠るブライユさんも楽しみにしているのではないでしょうか。

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